むかしから、版画が好きです。
とくにヨーロッパの、あの細い線がびっしり刻まれたやつ。
ギュスターヴ・ドレとか。たまりません。
ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』なんて、正直、話は専門的なうんちくばかりで、途中で何度もあくびが出ました。
それでも最後まで読めたのは、挿絵があったから。
あなたにも、ありませんか。
「話より、絵のほうを覚えてる本」。
さて、処女作100の12冊目は、マックス・エルンスト『百頭女』です。
20世紀美術の巨匠エルンストが、はじめてつくったコラージュ小説。
どのページにも、1枚のコラージュ版画と、キャプションみたいな短い一文が添えてあるだけ。
え、それって小説なの?
はい、小説なんです。たぶん。
パラパラめくるだけなら、1時間もあれば読み終わります。
でも、ページのすきまで想像をめぐらせはじめると、これがもう、終わらない。
千部しか刷られなかった「絵の小説」
1929年、パリのカルフール社から、たった千部の限定で出版されました。
その後、1956年にパリのルイユ社から、やはり千部限定で再刊。
1962年には、ベルリンのゲルハルト社からドイツ語版が四千部。
でも、どれもその後は絶版になって、長いあいだ新刊書店から姿を消していたんです。
全147葉、全9章。けっこうな大作です。
この本が生まれるきっかけは、1919年までさかのぼります。
エルンスト、28歳。
ライン川ぞいの町での、ある雨の日のできごと。
そこで彼は、コラージュという方法を「発見」してしまいます。
古い挿絵本や博物図鑑、商品カタログ。すでにある本から図版を切りぬいて、貼りあわせる。そうして、印刷できる絵画をつくる。
いわば、イメージの錬金術。
これを、新しい絵画のど真ん中にすえてしまった。
ここが、エルンストという人の才能なんですよね。
1914年に死に、1918年に魔術師としてよみがえった男
エルンストって、どんな人だったのか、ざっくりおさらいしておきます。
彼は1891年、ケルン近郊に生まれました。
ボン大学で哲学を学ぶうちに、ピカソやキリコ、思想家のマックス・シュティルナーに惹かれ、表現主義っぽい絵を描きはじめます。
そこへ、第一次世界大戦。
彼は兵士として戦場に送られ、大きな衝撃を受けました。
エルンスト自身、こう書いています。
「僕は1914年8月1日に死に、1918年11月11日に魔術師になるために蘇った」
8月1日は、ドイツが参戦した日。11月11日は、休戦の日。
かっこよすぎません。ずるいです、この言い回し。
戦後、彼はハンス・アルプらとダダの運動に飛びこみます。
でも、どこか物足りない。
アートは、もっともっと人を不安にさせるものであるべきじゃないか?
そう感じていたある雨の日。
ケルンで、人類学や微生物学、心理学、鉱物学、古生物学の図解をのせた教材カタログのページが、とつぜん、ものすごい力で彼の視線をつかまえたそうです。
で、決めた。魔術師になろう、と。
こうしてケルンは、エルンストのシュルレアリスム絵画が生まれた町になりました。
その後、ブルトンたちに招かれてパリへ。ホアン・ミロとならんで、シュルレアリスムの中心人物になります。
彼の分身ともいえる怪鳥ロプロプが羽ばたきはじめたのも、このころ。
第二次世界大戦中はナチスに追われ、1941年にニューヨークへ亡命。
のちのアクション・ペインティングに大きな影響をあたえました。
さらに、なにを思ったのかアリゾナの砂漠に移り住み、そこで暮らす人々や風景を描いています。
そして1976年、パリで亡くなりました。
ね、この人生だけで、もう一本小説が書けそうでしょう。
夢のなかの犯罪現場
「で、『百頭女』って、どんな話なの?」
それが、説明しにくいんです。いちおう物語にはなっています(たぶん)。
前衛と伝統が、おたがいの予想をこえてまじりあう、奇怪な物語。
出てくるのは、こんな面々です。
気球から飛びおりる男
巨大な怪鳥ロプロプ
鳩やツバメ
お腹を切りさかれた赤ん坊
さまざまな女性
途方もない報い、あいまいな忠告、妖精たちのかけ声が、ページじゅうに満ちています。
これは心をかき乱す誰かの夢なのか。切りぬかれた図版たちが、勝手に語りはじめた物語なのか。
答えは、たぶん、どれでもなくて、どれでもある。
読んでいる感覚をひとことで言うなら、夢のなかで見た映像を、信じられないほど細かく再現したもの。しかも夢のなかのぼくらは、その映像にまったく興味がない。
ミステリー好きとしては、ここにゾクッとしました。
謎はあるのに、解かなくていい。むしろ、解いたら負けなのかもしれません。
百の頭とは
「ところで、なんで百頭女なの?」
これ、ぼくもずっと気になっていました。
エルンストが切りぬいた大衆向けの版画には、無数の顔があります。百の頭がある。
だから逆にいうと、特定の顔をもたない。いわば、頭のない作品です。
ちなみにフランス語の原題『La Femme 100 têtes』は、「百頭の女」とも「頭のない女(sans tête)」とも聞こえる、だじゃれになっているそうです。
つまり『百頭女』とは、コラージュそのものを擬人化した名前なのかもしれません。
誰にも読まれなくなった千冊もの古本から切りはなされ、本文とは別のところで、死ぬのを待っていたような挿絵たち。
それが、ここでいっせいに目をさます。
時間からも、場所からも、風俗からも、信仰からも切りはなされた、なにかの「本物の断面」を見ているような気になる。
それが『百頭女』の魔法。
哲学者のジョン・デューイは『経験としての芸術』で、アート作品は受け手のなかでこそ完成する、と言いました。
小説だって同じ。そして『百頭女』は、解釈のすきまが、とんでもなく大きい。
だから、読む人の数だけ物語が生まれます。
シュルレアリスムって、けっきょく何
ちょっとここで、シュルレアリスムについてまとめておきます。
シュルレアリスムは、1924年に詩人アンドレ・ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を出して、正式にスタートした芸術運動。
日本語だと「超現実主義」って呼ばれたりします。
でも、現実を超えた空想の世界、という意味ではありません。
ポイントは、フロイトの精神分析。
人間の心には、ふだん自分でも気づいていない「無意識」の領域がある。夢や、ふと浮かぶ連想や、言いまちがいのなかに、本当の自分がひそんでいる。
だったら、理性のフィルターをはずして、その無意識をまるごと作品にしてしまおう。そうすれば、ふだんの現実よりも、もっと「濃い現実」があらわれるはず。
これが、シュル(超)レアリスム(現実)です。
そのための道具が、たとえばこんなもの。
自動筆記(考えずに、手が動くまま書く)
夢の記録
偶然の利用
コラージュ
合言葉みたいに引用されるのが、詩人ロートレアモンのこの一文。
「解剖台の上での、ミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」
ミシンと、傘と、解剖台。
ぜんぜん関係ないものが出会ったとき、見たこともない美しさが生まれる。
ダリの溶けた時計も、マグリットの空に浮かぶ岩も、ぜんぶこの発想の親戚。
そして、その「出会い」をいちばん手っ取り早く起こせる方法が、コラージュだったわけです。
コラージュはただのパクリじゃない
「コラージュが切って貼るだけなら、ただのパクリでは?」
いまの世の中だと、そう思いますよね。
模倣っぽいことをすると、すぐに著作権や知的所有権の問題になる。
でも、エルンストの時代のコラージュは、ちょっと意味がちがいました。
それは、資本家やお金持ちが価値をひとりじめすることへの抵抗であり、社会を変える手段でもあったんです。
ダダやシュルレアリスムのなかで、コラージュは一気に花ひらきます。
言葉のコラージュ
絵のコラージュ
音のコラージュ
行為のコラージュ
あちこちで、いっせいに爆発しました。
でも、本当のねらいは、切って貼ること自体じゃない。モノや情報にこびりついている「これはこういうものだ」という呪いを、ほどくこと。
そして、理性や常識の側に「編集しなおせ」とせまること。ブルトンは、日常の秩序を別の秩序に置きかえるだけじゃ意味がない、とまで言っています。
あらゆる予想を、さらに裏切らなきゃいけない。
合理ではなく、非合理。
シュルレアリストたちは、これを「デペイズマン」と呼びました。
もとは「異国に移す」「環境を変える」という意味のフランス語です。
モノを、いつもの関係から引きはがして、ありえない関係のなかに置く。すると、ありえない光景が立ちあがる。
『百頭女』は、この原理を知りつくしたエルンストがつくった、コラージュ・ロマンです。
キャプションは、言葉の錬金術
「絵はわかった。じゃあ、あの短い文章は」
ここがまた、くせものです。
おそらくエルンストは、ランボーの『地獄の季節』の一節を思いうかべながら、言葉遊びを楽しんだんじゃないでしょうか。
ちょっと安っぽくて、ちょっと古くさい、既成のイメージや言葉の世界にひかれた。
高尚な芸術じゃなく、ガラクタのほうに、魔法の材料があるんだと。
ぼくのお気に入りのページ
ぼくがとくに好きなのは、51ページ。
偉大な聖ニコラが、申し分のない寄生者たちにつき従われている。
両脇のふたつの付属物によって、遠くから誘導されている。
なにそれ。
でも、絵と並べると、なぜか納得してしまう。

それから141ページ。ロプロプが人をおびえさせるシーン。

そして171ページ。

これらのイメージを眺めているだけで、物語がひとつ書けそうな気がしてくるんです。
インスピレーションが、次から次へとわいてくる。
処女作を読むおもしろさって、ここにあると思います。
『百頭女』は、のちに巨匠と呼ばれる人が、まだ誰も見たことのない形式を、手さぐりでつくった一冊。
整ってはいません。わかりやすくもない。
でも、「ここから全部はじまったんだ」という熱が、ページの端からはみ出している。
洗練よりも先に、発明がある。
書く側としては、これがいちばん勇気をもらえるところでした。
ぼくの文章修行
で、ぼくの小説執筆について。
うーん。それが、アイデアがまとまらないんです。
1月末が締め切りなので、そろそろ書きはじめないとまずい。
いま考えているのは、犯罪者だけをねらうサイコパスの殺人鬼が主人公の物語。
なんですけど、どれだけ殺しても、ミステリーの核になる「謎」がまだない。
このままじゃただの大量殺人です。
そういえば最近、妻がドイツのドラマ『マインドフルネスに殺して』を観はじめました。
物語のコアは、主人公が、ギャングのボスになりすましていく話。
これ、使えそうな気がする。さてさて、どうしたものか。
そもそも「0から1」をつくる作業は、第一線の作家さんたちにとっても、ブラックボックスらしいんです。
ある人は、「カオスをつくることが大事」と言っていました。
たくさんのものにふれる。
好きな作品を何度も観る。
自分がグッとくるポイントが、なぜグッとくるのかを言葉にする。
それがカオスを作り出すことなんだと。
ということで、ぼくがこれまで影響を受けてきた作品を、ぜんぶ並べてみます。
小説
・『冷血』
・『神曲』
・『すばらしい新世界』
・『悪童日記』
・『薔薇の名前』
・『草枕』
・『人間失格』
・『アクロイド殺し』
・『銀河ヒッチハイク・ガイド』
・『QJKJQ』
映画
・『ゴジラvsスペースゴジラ』
・『ガメラ2 レギオン襲来』
・『マルコヴィッチの穴』
・『羊たちの沈黙』
・『クール・ランニング』
・『エース・ベンチュラ』
・『マトリックス』
・『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ
・『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』
・『スター・トレック』(2009)
ドラマ
・『新スター・トレック』
・『SUITS/スーツ』
・『ブルックリン・ナイン-ナイン』
・『イエローストーン』
・『ピースメイカー』
・『ジ・オフィス』(アメリカ版)
・『シェイムレス 俺たちに恥はない』
・『ピーキー・ブラインダーズ』
・『インビトウィーナーズ』
・『スキンズ』シーズン1
・『SHERLOCK/シャーロック』
・『仮面ライダークウガ』
・『仮面ライダー555(ファイズ)』
アニメ
・『キルラキル』
・『ガンダムビルドファイターズ』
・『DEVILMAN crybaby』
・『LUPIN the Third 峰不二子という女』
・『HUNTER×HUNTER』
・『PSYCHO-PASS サイコパス』
・『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』
・『サンダーバード』(人形劇)
・『王様ランキング』
・『無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜』
漫画
・『NARUTO-ナルト-』
・『明稜帝梧桐勢十郎』
・『亜人』
・『ワンパンマン』
・『メダロッターりんたろう!』
・『うずまき』
こうして並べると、ぼくの頭のなかも、なかなかのコラージュです。
ゴジラとダンテと仮面ライダーが、同じ解剖台の上に乗っている。
これがぼくの「百頭」なのかもしれません。
あと、アゴタ・クリストフやアガサ・クリスティーを見習って、歩いているときや家事をしているとき、いつも頭のなかで物語を考えるクセをつけはじめました。
無意識で物語ができていたら、ぼくはとっくに何冊も書いているはずですから。
人は、意識しないと頭に負荷をかけられない生きものなんだなってつくづく思います。こうやって物語脳をちょっとずつ作っていきます。
評価
独創:★★★★★
凄味:★★★
洗練:★★
構造:★★
後味:★
形式の発明という意味では、文句なしの満点。
ただ、物語としての手ざわりや読後感を求めると、ちょっと置いていかれます。
でも、それでいいんです。
これは読む本じゃなくて、あなたの頭のなかで完成させる本だから。