前回のウンベルト・エーコ『薔薇の名前』があまりにもおもしろくて、ぼくの創作欲に火がついてしまいました。
「よし、自分もミステリーを書いてみよう!」
そう心に決めて次に手にとったのが、世界で一番本が売れたミステリーの女王、アガサ・クリスティーの処女作『スタイルズ荘の怪事件』です。
正直に言いますけど、めちゃくちゃ楽しめました。
「えっ、まさかこの人が!?」という犯人でしたし、ラストの鮮やかなタネあかしでは、散らばっていた謎がひとつに残らず解き明かされて最高の快感を味わうことができました。
なにより、世界中でシャーロック・ホームズの次に有名な名探偵エルキュール・ポワロが、このデビュー作で初登場する作品。
処女作でこれほど歴史に残る人気キャラクターを生み出してしまうなんて、すごすぎますよね。
でも、本を読みながらぼくは、ずっとある疑問を抱いていました。
ベルギーの凄腕警察官が、なぜイギリスに?
物語の中でポワロは、イギリスに身を寄せている亡命者として描かれています。
若いころの彼は、ベルギー警察でかなり出世していたエリート捜査官だったんですよ。
そんな彼がなぜ、母国を離れてイギリスに逃げてきたのか。
ぼくは最初、「警察組織で何か大失敗でもして、追われるように国外逃亡したのかな?」なぁーんて思っていたんです。
でも、調べてみたらまったく違いました。
原因は、1914年に始まった第一次世界大戦だったんです。ドイツ軍がベルギーに侵攻し、国が占領されてしまった。だから、生き延びるためにイギリスへ避難せざるを得なかったんです。
ヨーロッパの歴史に疎いぼくのような人からすると、ピンとこないかもしれません。
でも、もし自分の母国である日本が外国に占領されたら……と考えたら、そりゃあ海外へ逃げますよね。
どこに逃げるかは悩ましいところですけど!
ポワロという不朽の名探偵の誕生には、そんな戦争という時代の荒波が色濃く影を落としていたんです。
姉からの煽りが、伝説の引き金だった?
アガサが『スタイルズ荘の怪事件』を書き始めたのは1916年。
彼女が25歳のときでした。
そもそも、書き始めたきっかけがめちゃくちゃおもしろいんです。
彼女が17歳のとき、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』という名作ミステリーを読んだんですよ。
そのとき、姉のマッジからこんな意地悪な煽りを受けたんです。
「読者に犯人を当てさせないミステリーを書くのは難しいわ。あなたには絶対に書けないでしょうね」
なぁーにー!?って感じですよね。
アガサの胸の中には、その挑発の種がずっと燻り続けていたんです。
そして1916年、第一次世界大戦のボランティア看護師をしていたアガサは、病院の調剤室へ異動になります。
そこで彼女は、薬や毒薬についての専門知識を徹底的にたたき込まれたんです。
その瞬間、彼女の頭の中でカチリとギアがかみ合いました。
「今こそ、あのときのお姉ちゃんとの賭けのミステリーを書くときだ!」
こうして彼女は、25歳でついにペンを走らせ始めたんです。
1年で書けたのに、出版まで4年待たされた理由
「夢中で書いて1年で完成させたなら、デビューまで楽勝だったんじゃないの?」
そう思いますよね。
アガサは26歳で原稿を見事に書き上げました。
「よーし、これでわたしもミステリー作家だ!」と胸を躍らせたはず。
ところが、ここからが彼女にとって本当の地獄の始まりでした。
完成した原稿を持って出版社を回るものの、ことごとく断られるんです。
あっちの出版社でも拒絶。
こっちの出版社でも拒絶。
4、5ほどの出版社から「いらない」と追い返されてしまったのだそう。
最終的に、この原稿が『スタイルズ荘の怪事件』として本になり、世に出たのは1920年。アガサが30歳になってからのことでした。
執筆を始めてから出版されるまで、なんと4年以上もの長い月日が流れていたんです。
後世に「ミステリーの女王」と称えられる天才アガサ・クリスティーでさえ、デビュー作を出す前には、泥くさい挫折と果てしない待ち時間を経験していたんです。
これ、いま「自分には才能がないのかな」って悩んでいる書き手にとって、どれほど救いになる真実でしょうか。
書斎なんていらない。アガサの「どこでも執筆術」
じつは彼女、生涯を通じて「自分専用の決まった書斎」や「豪華な執筆机」を持っていませんでした。
じゃあ、彼女は一体どこで原稿を書いていたと思いますか?
・寝室の大理石の洗面台
・食事の合間のダイニングテーブル
・ホテルの部屋の小さな机
・再婚した夫についていった遺跡の発掘現場の粗末な作業台
そうなんです。彼女は、平らな場所とノートさえあれば、家の中でも旅先でも、どこでも書いていたんです。
「書斎がないから集中できない」
「いいデスクを買ってから執筆を始めよう」
なぁーんて言っているぼくたちとは大違いですよね。
環境のせいにするのをやめさせてくれる、すばらしいエピソードです。
荒野をひとり歩き、探偵と犯人の対話を吐き出す
「でも、家事や仕事をしながらどうやって長編小説を完成させたの?」
ここが「処女作を書ききるための秘密」です。
アガサは、アイデアを温める時間と、一気に原稿を書き上げる集中期間をきっぱり分けていました。
日常の細切れ時間だけではなかなか最後まで書き終えられずにいた彼女に、お母さんがこう助言したんです。
「2週間休暇を取ってホテルにこもり、一気に書き上げてしまいなさい」
そこで彼女は、ダートムーアにあるホテルへひとり「執筆合宿」に出かけました。
そのときの彼女の日課が、本当にすごいんです。
朝食
午前中の集中執筆
午後の荒野で散歩しながら独り言
夕食
12時間の爆睡
ヤバくないですか!?
朝しっかり書いて、午後は風が吹き荒れるダートムーアの荒野をひとり歩き回る。歩きながら、頭の中で探偵と犯人の対話を大声でつぶやいてみる。
「ポワロならここでどう返す?」
「犯人はどう言い逃れする?」
声に出して会話を交わしながら、荒野をひたすら歩く。そして夜は、疲れ果ててベッドに倒れ込み、12時間ぐっすり眠る。
日常の仕事や雑事をバッサリと切り離し、頭の中にある物語を一気に紙の上に吐き出す。
この「物理的な環境切断と、圧倒的な集中時間」こそが、アガサに処女作を完成させた最大の決定打だったんです。
自分の時間の使い方の下手さに嫌気がさす夜
「で、ホヴィンチはアガサのマネをして執筆を進めてるの?」
……うっ。その質問は耳が痛すぎます。
恥を忍んで告白しますね。
ぼくは最近まで、毎朝2時間の執筆時間をしっかり確保して頑張っていたんです。
ところが……妻がNetflixに加入しまして。
家族であるぼくも観られるようになった結果、アニメ『サイコパス』シーズン3を見始めてしまったんですよ!
『サイコパス』はぼくが歴代トップ5に入るほど好きなアニメ。
まんまとハマってしまって、夜更かしが止まらなくなってしまいました……。
当然、次の日の早朝には起きられません。
「あーあ、また今日も書けなかった……」と絶望する朝。
自分の情けなさと、時間の使い方の下手さに、本当に嫌気がさしています。
でも、落ち込んでばかりもいられません!
アガサだって、日常の雑務のなかではなかなか筆が進まなかったんです。
だからこそ、環境を変え、習慣を変える必要があった。
そしてアガサは、生活導線のいたるところにメモ帳を配置して、いつでもアイデアを書き留められるようにしていたそうです。
ぼくもまずはこれを真似します!
探偵ポワロのような観察眼を持って、自分の隙間時間を見逃さないようにメモ帳を常備する作戦です。
そして、何よりも早く寝る!Netflixの誘惑を断ち切って早寝早起きを取りもどす!
アガサの泥くさい努力と集中力を見習って、ぼくも自分の創作に向き合い直すと決めました。
乱歩賞の締め切りまで、あと5か月。執筆をすすめていきます!
さて、次はアガサが強い影響を受けたガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』を読んでいきます!
なんと、これもルルーの処女作。
密室ミステリーの金字塔を、処女作という視点から解剖していくのが今から楽しみで仕方がありません。