あなたが何かを書こうとしているなら、ちょっと想像してみてください。
48歳。
大学教授。
論文や評論はたくさん書いてきたけれど、小説なんて一度も書いたことがない。
そんなおじさんが、ある日ふと思い立って書いた処女作が、世界で5,000万部売れてしまった。
ウンベルト・エーコ。
イタリアの記号学者にして、中世研究の大家。
この人がはじめて書いた小説が『薔薇の名前』です。
処女作100企画で7冊目。いままでで一番おもしろかった。
中世の修道院で連続殺人が起きる
「で、どんな話なの?」
ざっくり言うと、14世紀イタリアの山奥にある修道院で、修道士が次々と不審な死を遂げていく。
そこに招かれたのが、元異端審問官のウィリアムという知識人。
彼は弟子のアドソとともに事件の真相を追うのですが、じつはこの物語、たんなるミステリーじゃありません。
ウィリアムには3つの目的がある。
連続殺人の犯人を突き止めること。
ある禁じられた本を手に入れること。
教皇庁とフランチェスコ会の対立を調停すること。
じっさい、すべての目的は達成できません。
どれが達成できないのか、それは読んでからのお楽しみにしておきますね。
キリスト教に疎くても、たのしめる理由
「中世の修道院とか、キリスト教とか、正直ぜんぜん分からないんだけど……」
わかります。ぼくもそうでした。
ぼくの日常にキリスト教の要素なんて、ほぼゼロ。クリスマスぐらいでしょうか。なぜ祝っているかも分からないまま、妻とプレゼント交換をして、ケーキを食べている。
そんなレベルの人間でも、この本はたのしめました。
理由は、ミステリーという衣をまとっているから。
修道士が死ぬ。怪しい人物がいる。証拠を集める。推理する。次の犠牲者が出る。
この「犯人は誰だ?」というエンジンが物語を引っ張ってくれるおかげで、中世の神学論争やラテン語の引用がちりばめられていても、読者は置いてけぼりにならない。
エーコは記号学の教授だから、知識のハードルが高いと思うかもしれません。
でも、ちゃんと配慮されています。語り手のアドソは若い修道士見習いで、読者と同じ目線で驚いたり、戸惑ったりしてくれる。
これって、ミステリーを書くうえで、めちゃくちゃ参考になる設計だと思いませんか。
映画もあるけど、圧倒的に本をおすすめする
「映画で済ませちゃだめ?」
う~ん。この本に限ってはだめです。いや、映画は映画で見どころはあります。
たとえば、サルヴァトーレという人物。さまざまな国を放浪し、さまざまな国の言葉をしゃべることで、結局どの国の言葉もまともにしゃべれなくなってしまった男。
彼を演じるのがロン・パールマン。のちにヘルボーイで知られることになる俳優です。彼の怪演は、この映画最大の見どころ。
でも。
前回紹介した『アラバマ物語』の映画は、原作からサブストーリーを削ぎ落として本質だけを残すことで名作になっていました。
いっぽうの『薔薇の名前』の映画は、逆。原作にない要素が足されている。
とくに、原作ではほとんど触れられていない村の人々の教会権威に対する怒りが、映画では大きく描かれています。
正直余計と言わざるを得ません。
この物語のスゴみは、修道院という密室の中で、知と信仰と権力がぶつかり合うところにある。外の世界を持ち込んでしまったら、その密度が薄れてしまうんです。
異端審問官というミューズを発見してしまった
さて、ここからはぼく個人の話をさせてください。
この小説がぼくの心をとらえて離さない理由。それは、異端審問官という存在です。
作中でウィリアムのライバルとして登場するベルナール・ギー。
なんと、実在の人物です。
1261年ごろに生まれたドミニコ会の修道士で、16年間にわたって異端審問官を務めた。しかも、異端審問の手順をまとめたマニュアルまで書いている人物。
異端審問の「やり方マニュアル」ですよ。
ぞくぞくしませんか。
なぜ彼にこんなに惹かれるのか、自分でも考えてみたんです。
間違った事実にもとづいて、無実の人さえ裁いていく。権力を不当にふりかざす人間と、それに巻き込まれて滅びていく人。
その不公平感に、しびれたんです。
おもえば、ぼくは漫画『ベルセルク』に登場するモズグスというキャラクターにも、やけに心を動かされていました。
彼は作中世界の一神教における司教であり、異端審問官。裁いた者を500人以上、磔刑や車輪轢きの刑に処してきたことから「血の経典」の異名を持っています。
慈悲深い顔と、容赦のない顔。
その対比がおそろしく美しい。
それにしても、人生ってのは不公平です。
お金持ちの家に生まれる者もいれば、貧しい家に生まれる者もいる。そして、その不公平な世界のなかに「権力をもって公式に、他人に不幸をもたらす存在」がいる。
そして、だいたい不幸になるのは、貧しい者や、階級の低い者です。
弱いものイジメみたいだ、と思われるかもしれない。
でもそこには、自分の力に陶酔する者と、運命に翻弄される者がいる。人間の本性がむきだしになっている。
結局のところ、ぼくが引かれているのは「人間そのもの」なのかもしれません。
異端審問官。これが、ぼくの創作におけるミューズになりそうです。
朝2時間、書きはじめました
処女作100企画もこの本で7冊目。
そろそろ10分の1が終わろうとしているのに、短編ひとつ書けていない自分に絶望しかけていました。
そこでもう、逆転の発想。
「書かない」ことをあきらめたんです。
最近、作家として生活することを始めました。
作家の仕事はとうぜん、書くこと。
その一番大事な仕事を、朝いちばんに2時間やるようにした。
最初は「小説の書き方」の本を読む程度でした。でも、いくらインプットしてもアウトプットしなければ意味がない。まぁ、あたりまえなんですけど。
こういう自分が本当に嫌になるときがあります。いつも準備と計画ばかりしている。それが幸せなんだけど、成果物にはならない。
そこで、強制的に、本を読まず、ただ白紙に向かう時間を2時間ってきめました。
まぁ、最初からやれって話なんですけど。
まだ原稿は書いておらず、設定とプロットの段階ですが、2週間ぐらい続いていて、いい感じです。
ただ、朝起きる時間が安定しないので、まずは夜寝る時間を固定すること。これが目下の課題です。
ジャンルを決めました。乱歩賞に応募します
「ジャンル選びって、どうやって決めるの?」
うーん、難しいですよね。
いままではラノベにチャンスがあると思って、ラノベを書こうとしていました。でも、ラノベはテンプレがあるようでいて、じつは自由度がものすごく高いことに気がついたんです。
型のない海を泳ぐのは、初心者にはつらすぎる。
そこで、決めました。
江戸川乱歩賞に応募します。
英語圏の読者のために少し説明すると、乱歩賞とは日本でもっとも権威あるミステリー新人賞のひとつです。
名前の由来は、日本のミステリーの父と呼ばれる江戸川乱歩。ちなみに「エドガワ・ランポ」というペンネームは「エドガー・アラン・ポー」のもじりです。
日本では、作家としてデビューするルートが欧米とはだいぶ違います。出版社への持ち込みはほぼ通用しない。新人賞を獲ることが、ほぼ唯一のプロへの入り口です。
作家の大沢在昌さんは『売れる作家の全技術』という本で、作家としてデビューするなら「偏差値の高い賞をとれ」とおっしゃっていました。
偏差値が高いとは、受賞後に活躍している作家が多いかどうか。つまり、作家を育てられる編集者がいる賞、ということでしょう。
前回の『アラバマ物語』でも書きましたが、あの大ヒットの裏には編集者テイ・ホホフの存在がありました。ハーパー・リーに最初の原稿の全面書き直しを指示し、方向性を与えたことが、名作の誕生につながった。
よい編集者との出会いは、作家人生を変える。
それに、ぼくはミステリーが好きなんです。
あまり自覚がなかったんですけど、振り返ってみると、クリスティーもホームズも好き。アニメでも『ジョーカー・ゲーム』や『ロード・エルメロイ二世の事件簿』みたいな推理ものに、いつも惹かれていた。
そしてなによりも、ミステリーには「型」がある。
守破離の「守」として、最初に学ぶ価値がある。
ショートカットはありません。きちんと基礎を学んでいきたいと思います。
48歳で小説の処女作を書いたエーコみたいに。
遅すぎることなんて、ないはずだから。