「世界中で愛される名作を読めば、何かすごい発見があるはずだ」
そう期待して、ぼくは『不思議の国のアリス』を開きました。
処女作100、記念すべき一冊目。
意気込んでいました。さあ、何が飛び出すんだ、と。
で、読み終えて出てきた感想がこれです。
え~、なにこれ!
めっちゃ眠い。
アリスが、大きくなったり小さくなったりして、変な生き物に出会って、最後は夢から覚める。
ざっくり言うと、それだけの話でした。
もちろん名作であることは疑っていません。ただ、ぼくにはその面白さがピンとこなかった。
そして読み終わって一番強く残った感情は、「悲しい」でした。
子どものように物語を楽しめなくなっていた
悲しかった理由の一つ目はこれ。
子どものように物語を楽しめなくなっていたんです。
ぼくは今39歳。ただのオッサンです。
子どもたちはこの作品を純粋に楽しめるんでしょう。だからこそ100年以上も読み継がれている。それは間違いない。
で、物語をたのしめない感覚を『長くつ下のピッピ』でも味わいました。
どちらも主人公は、自由奔放で予測不能な子ども。たしかに、それを眺めること自体が作品の魅力なのかもしれません。
でもぼくは、つい思ってしまう。
「こんな子が身近にいたら、大変そうだなぁ」
完全に大人の目線で子どもを見ている自分がいる。昔は自分も子どもだったはずなのに。あの視点はもう、戻ってこない。
ちょっと寂しかったです。
知的な仕掛けにも、のれなかった
「じゃあ大人の頭で味わえばいいじゃないか」
そう思いますよね。ぼくもそう思いました。
作者のルイス・キャロルは数学者。
この作品には言葉遊びや数学的な仕掛けが、これでもかと散りばめられている。
だから解説本もいろいろ読みました。なるほど、ここにこんな仕掛けが、と。
で、出てきた感想。
「だから何?」
うーむ。ぼくの教養が足りないのか。感受性が足りないのか。たぶん両方。
子どもとしても、大人としても、味わいきれなかった。
それが二つ目の悲しさでした。
でも、一番面白かったのは物語じゃなかった
ところがです。
そんなぼくが、一箇所だけ強烈に引き込まれたところがありました。
それは物語の中身ではなく、「なぜ、この作品は書かれたのか」という背景のほう。
じつは『不思議の国のアリス』は、たった一人の少女のために書かれた物語だったんです。
若き日のキャロルが、知人の娘とボート遊びをしていたとき、「お話を聞かせて」とせがまれた。その場で語ったお話が、この作品の出発点でした。
ちなみにルイス・キャロルはペンネーム。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。
ぼく、ずっと女性だと思っていました。男性です。オックスフォード大のエリート。
そしてアリスも実在の少女でした。
アリス・リデル。ドジソンが出会ったころは10歳前後。
ドジソンは写真にも強い興味を持っており、ときに少女をコスプレさせたり、裸にしたりしてシャッターを切りました。
その写真は、『図説 不思議の国のアリス』でも確認できます。
現代の感覚からすると、ロリ変態のレッテルを張られますが、当時は幼児セクハラにはならなかったようです。
で、この作品が「たった一人を喜ばせたい」という衝動から生まれた、という一点に、ぼくは強く惹かれました。
ここが、処女作を読むおもしろさ。
完成された巨匠の代表作ではなく、まだ何者でもなかった人が、目の前の一人のために口から紡いだ即興のお話。それが原点だった。
そう知った瞬間に、思ったんです。もしかして、ぼくに足りなかったのは、この視点なんじゃないかってことに。
人はなぜ書くのだろう
ぼくはずっと、こう考えてきました。人は自分のために書くものだ、と。
これには吉田松陰の言葉が効いています。
たしか『講孟箚記』のまえがきで、「自分の理解を深めるためにこの本を書いた」と言っていた。
読むだけより、書くほうが理解は深まるもの。人に教えるのが一番学べる、ともよく言われますよね。
で、ぼくは20代の頃から小説を書きたいと思ってきました。もう10年以上前の話です。
なのに、一作もまだ完成していない。
理由は二つだと思っていました。
一つは、小説の種が育っていないこと。
もう一つは、方法論を知らないこと。
一つ目は人生経験が必要なので、なんとも言えません。
二つ目に関しては、まずは毎日書く習慣をつくりました。毎日noteはもうすぐ1700日。そこでは方法論を学ぶために、ストーリー論についても発信しています。
それなのに、まだ書けない。
ここまでくると、もっと根っこに原因があるんじゃないか。そう思えてきたんです。
答えは「誰か一人のために書く」だった
『不思議の国のアリス』が教えてくれた答えは、これでした。
誰か一人のために書く。
自分のためじゃない。
誰かを喜ばせるために書く。
そう考えたとき、真っ先に浮かんだのは妻でした。
以前は、妻の誕生日に手作りの絵本をプレゼントしていたんです。
妻は絵本が好き。とくに長新太さんの作品のようなナンセンス絵本が好き。
だから筋が通っていなくても成立するし、当時はたいしたプレゼントを買うお金もなかったから、手作りでした。
あれを、もう一度始めてもいいのかもしれないと思いました。
絵本じゃなくて、小説。
まずは、たった一人を喜ばせる物語を書くこと。
ぼちぼち見えてきた、書きたい小説の形
ついでに、自分がどんな小説を書きたいかも、少し見えてきました。
ぼくは、百科事典みたいな小説を書きたいんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチに強く憧れていて、活動名も彼の名前を入れた「ホヴィンチ」と名乗っています。
ダ・ヴィンチは膨大なノートを残し、最終的には百科事典を出そうとしていたと言われています。
本が高価だった時代に、たくさんの蔵書を持っていたそうです。その姿勢に、ぐっとくる。
で、いま彼のように百科事典をつくっても仕方がないですよね。すでに百科事典はあるし、一人では手に負えないことは目に見えている。
そこで考えたのが、「百科事典の器としての小説」
読んで学んだ知識を、小説という器に少しずつ埋め込んでいく。
一冊に全部詰める必要はない。小説一冊を書くのに、専門書五冊ぐらいの知識を、読者が退屈しないようにまぎれこませる。
それを何十冊、何百冊と重ねる。
生涯をかけた作品群ぜんぶで、一つの百科事典みたいになればいいなぁ~と。
そんな構想を持つようになりました。
まずは一冊目を書こう
とはいえ、まだ一冊も出していません。
「小説を書けない」を打破するために始めたのが、この「処女作をめぐる旅」。
そして最初の一作は、妻のために書こうと思います。
『不思議の国のアリス』は、一人の少女のために書かれた物語でした。
もしかすると、本当に多くの人に届く物語って、最初から大勢に向けて書かれたものじゃないのかもしれません。
まずは、たった一人を喜ばせること。
ぼくの小説は、そこから始めてみます。
『不思議の国のアリス』
ルイス・キャロル (著), 河合 祥一郎 (翻訳)
独創:★★★
凄味:★
洗練:★
構造:★
後味:★